第四章 – 1浪時代

現役で前期、群馬大学、後期 信州大学へ願書を出しましたが、いずれもセンター試験の結果足切りとなり、3月に入り早々に予備校に行くことを決め、駿台予備校の横浜校へ入ることを家内と息子が決めてきました。

家内と息子は駿台予備校横浜校には横浜市立大医学部合格コースがあり、それが気に入り、横浜校が家から比較的近いという理由で、家内と息子は横浜校に決めました。

医学部だけを受験する浪人生むけの駿台予備校は市谷校舎があり、河合塾は麹町校があります。人によるかもしれません、駿台横浜校には医学部以外の難関国立大学の理系の受験生もいて、すべて同じ目的をもった学生があつまっている訳ではないので、同じクラスの人と親しくなるのは難しいかもしれません。

息子は2浪時代は河合塾の麹町校へ行きましたが、麹町校は同じ目的の浪人生同士で話もしやすく、友達もたくさんできたようです。

駿台予備校のテキストは最小限のことが書かれていて、テキストには問題と解答しかないので、特に数学は予習で自分の解法を考えていかないとなりません。息子はよく予習をして授業に臨んでいたようです。

今も同じかどうかは知りませんが、駿台予備校は座席が決まっていて、早く教室に入っても遅く入っても席は確保されています。平等といえば平等ですが、河合塾の麹町校の場合は席はきまっていないので、特にやる気のある生徒は早くきて前に座ることができます。

息子は夏休みの前は好調に飛ばしていましたが、夏休みあけから現役生、特に私立の中高一貫校の生徒が受験に的をしぼった勉強をしてきますので、同じだけ勉強をしていても、これら現役生以上に勉強しないと偏差値は相対評価で下がってくることになります。ということで秋からは息子もかなり苦労したようです。

息子は一浪では、私立の医学部は産業医大以外は受けず、防衛医大と国立大学医学部にしぼった受験をしました。

息子の医学部受験を振り返りますと国立大学医学部の受験はとにかくセンター試験がすべてです。センターですべてが決まる。これにつきます。

センター試験で平均80%以上とれないと、どこの国立大学医学部も受けれないという厳しい現実があります。一浪でうけた2回目のセンター自己試験結果は平均78%でしたが、旭川医科大学だと国語の点数が圧縮されて、同大学がセンターで求めている全科目の平均が80%までUPすることより、駿台予備校のクラス担任と相談して、旭川医科大学を受験することを決めました。

息子は一浪の時も本当によく勉強した、本当によく頑張ったと思います。しかし、残念ながら力及ばす、2浪することになりました。

私は非常に厳しいことですが、息子には2浪まではOKだがそれ以上の浪人はできないと伝え、2浪で受からなかった場合に医学部以外の行く大学学部を書いてもらいました。また、2浪してからは比較的学費が安い私立の医学部(といってもいずれも非常に高いですが)を受験することを認めました。私立の医学部を併願することを認めた背景には私の大学時代の友人からのアドバイスもありました。

一休 について

東京都出身、横浜市在住。
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