第三章 – 現役時代

息子は中高一貫の私立に通っていましたが、5年間音楽部に所属して毎日練習に明け暮れ、高校2年には部長をしていましたので、予備校に通う時間がなく、東進をネットで受講していました。東進がよいのは何時でも好きな時間に家で勉強ができることです。

最初の医学部受験は群馬大学医学部の推薦入試でした。5年間部活動をやっていたということでそれを評価してくれるのではという淡い期待があり、内申点はギリギリでしたが、推薦を受けられる五段階評価で4.6にあることがわかり、思い切って受験させましたが、結果は不合格でした。

推薦にも勿論筆記と面接の試験があります。推薦はセンター試験がない代わりに英語、数学、理科の試験があり、それは息子には歯が立たなかったようです。

その後、現役では同じ群馬大学を前期、後期は信州大学の医学部を受験しました。現役のときのセンター試験は平均77%でした。この得点でとても国立大学を受験できる内容ではありませんでしたが、当時息子も親もわかりませんので、そのまま受験しました。結果は無残で、前期後記ともに足きりをうけて、二次試験を受けれませんでした。

現役のときは防衛大学医学部、産業医科大学、私立は帝京大学医学部とセンターで昭和薬科大学も受験しました。防衛大学医学部、産業医科大学は一次で落ち、全滅かと思っていたところ、3月末に帝京大学医学部から繰り上げ合格の通知が電話できました。

学費の関係で帝京大学医学部へ行くことは考えていませんでしたが、この繰り上げ合格がなかったら息子はその後、医学部受験をあきらめていたかもしれません。

一休 について

東京都出身、横浜市在住。
カテゴリー: 医学部受験 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です